こんにちは。
ロシアとウクライナの争いは、収まる気配を見せていません。
神社仏閣に参拝する際は、必ず、「世界平和が、はやくおとずれますように。」と祈っています。壱岐、対馬でも、そうお願いしました。
今を遡る100年ほど前、1905年に日露戦争、日本海海戦が戦われました。
無敵ロシアのバルチック艦隊に東郷平八郎率いる日本海軍が勝利した戦い。
この対馬沖で戦われました。
ガイドさん、あっちゃんの話に熱が入ります。
どうも、日露戦争中ですが、対馬の人たちは、農作業をしていて、戦争など、どこか遠いところの話、といった感じでした。
ところが、1905年5月28日、島民は、対馬沖で、ドカン、ドカン、と大きな音がするのを聞いたようです。でも、海戦とは思わない。騒がしいこっちゃ、と思っていたようです。
翌日、大きな船が近づいてきて、そこから、ボートに乗り換えて、140人ほどの人が対馬に上陸してきたそうです。傷ついたロシア兵。
島民は、大変びっくりし、言葉も通じない異国の兵に、身振り手振りで対応し、水を飲ませ、落ち着かせたということです。
その後、傷の手当てをし、風呂に入れ、各家にロシア兵を泊めて、もてなした、ということです。
翌日、日本軍に引き取られていきますが、ロシア兵は、甲板に整列し、何度も、何度もお辞儀をして、礼を尽くし、島民は、「元気でなあ。」と声のかぎり見送ったということです。
戦争は良くないことで、問題の解決の方法としては、取ってはならないことです。
戦争は憎みますが、人は憎まない。戦争が悪いのであって、人が悪いのではない。困っている、傷ついた人がいれば、手を差し伸べて、助けるのが人の道です。たとえ、敵兵であっても、言葉が違っていても。あっちゃんの言葉を借りると、「対馬のおばちゃんたちは、よく、頑張りました。」
日露友好の丘には大きなレリーフが建てられています。バルチック艦隊の司令長官、ロジェスト・ウェンスキー提督は傷を負い、佐世保の海軍病院に入院していたところ、日本海軍の司令長官東郷平八郎提督はお見舞いに訪れ、重傷のウェンスキー提督は、身を起して、東郷提督の心遣いに応じられた、ということです。
両国トップの心意気が伝わります。
ロシア兵を手厚くもてなした対馬の人々も、大変素晴らしいし、東郷提督、ウェンスキー提督も素晴らしいスピリットを感じる対応です。
困っている人は助ける、いくさが終われば、ノーサイド。
私はこのような素晴らしいエピソードを初めて知りました。しかも、お相手は、ロシア。この日露友好の丘のことを思い、早く戦火を収束させて、世界中のみんなが笑顔で暮らせるようになりたいものです。
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